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勝手に他人のために生きていたのをやめた

by aicocco/かんろ

『なんでも良いよ』が昔からの口グセでした。

最近は、あまり言わないようにしてるけど。

昔から、周りに流されやすいタイプでした。

自分の考えが薄くて、周りに影響されがちで、他人に嫌われたくないなって思いながら生きる。

最近、買ってからずっと読みかけにしていた『嫌われる勇気』を、たまたま読んだんです。

読んでみて、『わたしは自己中心的に、勝手に他人のために生きていたんだなぁ』とすごく感じました。

他人に対して勝手に期待して、勝手に落ち込み、勝手にイライラしたり。

SNSで他人の感情に対して喜んだり、落ち込んだり、怒りがこみあげてきたり。

周りに嫌われないように良い子でいようとして、でもそれは良い子じゃなくて、相手を思い通りに動かしたいために繕っているだけだったり。

自分がどうしたいか?という思いからではなくて、周りで受けた影響に対して自分の行動を決めているというか、簡単にいうと主体性がなく、他人の評価ばかり気にしていました。

そんな時に、たまたまKindleで買って読みかけにしていた『嫌われる勇気』を再度読み進めました。

そして、自分でコントロールできない部分でイライラしすぎていることに気が付いたんです。

嫌われる勇気の中で、課題の分離というものがありました。

他人の課題と自分の課題。

それぞれ切り分けて、お互い介入させない。

わたしは、これが絶望的に下手でした。

他人の課題を自分のことのように思ってしまうこともあるし、自分の課題を共有して理解してもらいたいと思ったり。

でも他人の課題は、わたしにはコントロールできないんですよね。

逆も然りで、他人にもわたしの課題をコントロールできないし、解決できない。

たとえば、夜ご飯を作って一緒に食べたいなと思う。

食事をテーブルまで運ぶことはできます。

でも、相手の食事のタイミングを私がコントロールできるわけじゃありません。

もし、直前になにか食べていれば『あとで食べるよ』となるでしょうし、ちょうどお腹が空いていたり、食べる約束をしていれば、一緒に食べるかもしれません。

あとから食べるか、一緒に食べるかは相手が決めることで、わたしは状況を用意するまでしかできない。

今までは、『せっかく作ったのになんで食べないの』って思っていたと思います。

作ってあげた→だから、一緒に食べてくれるだろう、みたいな構図で考えていたんだなぁと本を読んでから気付きました。

相手のために動いているようで、相手の状況は考えてない。

わたしは、自分のことを『わりと許容でき、我慢できる性格だ』と思っていたんですが、実際は自己中心的な衝動性の強い性格であると今では思います。

許容できて、我慢できるタイプだと思っていたのは、お願いされたら断りにくい性格で、自分で決めるより他人に決めてもらう方がラクだからだと思っていたからです。

『嫌われる勇気』を読んでから、あぁなんて自分はイヤなやつなんだと凹みました。

でも、自分でどうしようもないことでイライラするのは勿体ないな、とも思えるようになりました。

それから、少しずつ『自分のために生きたい』という想いが芽生えてきました。

良い子で嫌われないように周りを伺うよりも、まず自分が楽しいか・楽しくないかで考える。

自分に関する決定をした後は、第三者の決定に対してどうするのだろう?と、未来を悶々と考えない。

自分は自分、他人は他人。

文字に書けば簡単なのに、実際は切り離すのがむずかしかったです。

でも、それを意識してから他人の評価を気にしすぎることが減った気がします。

(心の底では分からないけど、今のところそう感じてる)

それと同時に、SNSもちょっと切り離そうと思うようになりました。

他人の意見に影響されやすいので、イライラしていたり、〜すべき、のような見ていてしんどくなってくるツイートは積極的に見ないようにしたり。

見たくないなら、フォローを外せば良いじゃないと思うかもしれませんが、『フォロー外したらイヤな思いをさせてしまうのでは?』と思ってなかなかできませんでした。

だから、自分が凹まず、かつ快適な世界を作るためにミュートするようにしました。

これはこれで、イヤなやつだと思われるかもしれませんが、イヤなやつと思われないために自分の精神的な平穏を犠牲にするのも変だなと感じて、積極的にミュート機能は使うようになりました。

今まで、周りを気にして生きすぎていました。

自分のことを本当にダメな人間だと思っているけど、それでも関係を続けてくれている人がいっぱいいる。

だから、そういう人たちを大切にして、見知らぬ誰かのために疲弊するのはやめよう。そう思えました。

やめたって言い切れるほど、考えを変えれたわけではありません。

でも、意識の持ち方を少しずつ変えれてきている気がします。

来年は、やろうと思っていることが色々あります。

今までの自分だったら、動けなかったことも、動こうと思っています。

もし、動いた結果上手くいかなくても、わたしにできることは行動をすることまで。

(上手くいかなかったらすごく凹むだろうけど、それは仕方ない)

仕事だと自分の意見が言えるのに、プライベートだと言えなかったんですよね。

それが最近、ちょっとずつ自分の意見も言えるようになってきました。多分。当社比では。

自分はどうしたいか今まで向き合ってこなかったなぁと、ここ数ヶ月すごく考えていました。

自分の気持ちをずいぶんと長いこと蔑ろにしてきたせいで、どういう空間なら自分は落ち着くのか、いま本当はなにをしたいと思っているのか、全然分からない状態でした。

今もあまりよく分かってません。

でも、外で飲むより家でまったり飲む方が好きなのかもしれないとか。

何も考えれない時はゴロゴロして、それは時間を無駄にしてるわけじゃないから凹まなくて良いとか。

すごく飲みに行きたい気分だけど、本当は誰かにグチをただ聞いて欲しいだけなのかもしれないとか。

ちょっとずつ、自分はどう思っているのかな?って問いかけてみるようになりました。

問いかけないと分からないのは、自分の気持ちに鈍感になりすぎたせい。

自分の考えが薄い、とはじめに書いたけど、それは考えてないわけではなくて、『考えを無視していた』に近いものなのかなと感じています。

そうすると、こんな風にこじれちゃうんだと思うけど。

自分を疲弊させるものがなんなのか、少し分かっただけでも良かったです。

最近は怒ってるニュースやツイートをよく見かけるけど、この頃は少し避けていて、おかげで変にイライラすることも減ってきました。

自分が平穏でいられる環境を作れるのは自分だけなので、もう少し労ろうと思った冬の夜でした。

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